中の人ですが、日曜日に五稜郭に行ってきました( ・∀・)ノ。写真を見て微妙な余白に気付いたかもしれませんが、看板屋さんが間違えたのでは無くて、中の人が日記の記事の為に加工してあります。ここで見て頂きたいのは「日本に2つ」というトコロ。
五稜郭と言うと100人中99人の方が、函館にある五稜郭を想像するかも知れませんが、日本には五稜郭って2つあるのです。1つは有名な函館の五稜郭。そしてもう1つが長野県佐久市(旧臼田町)にある龍岡城五稜郭です。今回は、佐久の五稜郭に行ってきました。
ホントに?五稜郭と思われる方もいらっしゃると思いますので、まずはGoogle先生の地図で見てみましょう。奇麗な五角形をしているのが分かりますでしょうか??このお城は幕末の動乱期、三河国(愛知県)と信濃国(長野県)に領地を持っていた松平乗謨(まつだいらのりかた)さん※後に大給 恒(おぎゅう ゆずる)と改める。が作ったお城です。
大給恒さんは、頭脳明晰な方と言われていて、領内では農民から兵隊さんを募集してフランス式の歩兵隊を結成したり、殖産興業で国力の増強につとめ、幕府では、老中や陸軍総裁など幕末の要職に就いた人です。
後に戊辰戦争を契機に、幕府の要職を辞任し、幕府からの訣別示すため上洛、姓を大給と改めます。幕末後は、佐野常民とともに日本赤十字社の前身である、博愛社の設立と育成に貢献したそうです。お城の前には大給恒さんの胸像がありました。と殆どはウィキペディアさんから引用。
さて、お城を見てみましょう。廃藩置県の際に廃城となってしまいましたが、石垣や水堀、御台所(櫓)が現存しています。
写真の御台所は後に小学校としても使われていたそうです。事前に予約すると中を見せてくれるそうです。また、現在はこの龍岡城の中に田口小学校があります。周りには桜の木が沢山植えられていて桜の時期は奇麗そうです。
昔は領内を守るために築かれた石垣ですが、今は毎日登校してくる子供たちを見守っているのでは?と思います( ・∀・)ノ。史跡の中にある小学校。ここで卒業した子供たちはちょっと自慢出来てしまいそうです。