松本城ともう一つの松本城

青翰堂書店連休中は松本に行ってきたのですが、松本城に行く際に、もう一つ松本城がありました( ・∀・)ノ。青翰堂(せいかんどう)書店さんというお店で、古書が沢山置かれています。1/20のスケールで忠実に作られているそうです。

松本城古書店から少し歩くと、松本城があります。今は松本のシンボルとして、沢山の方が訪れる観光地や憩いの場になっていますが、何度かの危機を乗り越えて、今のお城を見ることが出来ます。今回は、もしかしたら松本城は見られなかったかも知れない?と言うお話です。

明治維新後、廃藩置県があり、松本には筑摩県が置かれます。しかし筑摩県では、お城が維持管理出来ず、競売にかけられてしまいます。現在のお金で約400万円で落札されたお城は、壊されることになりました。しかし、貴重なお城が取り壊されては…と、市川量造ら地元の有力者の尽力によって、松本城で展覧会を開き、必要な資金を集めて、お城を買いもどして難を逃れます。

その後、明治30年代になると、手入れをしなくなった天守は傾きが目立ち始め、崩れ落ちる危険が出てきました。これを憂いた旧制松本中学(現松本深志高校)校長先生の小林有也らにより、天主保存会が設立され、1903年(明治36年)より1913年(大正2年)まで「明治の大修理」がおこなわれたそうです。

このように松本城は2度にわたって危機を迎えましたが、いずれの危機も市民の方によって、守られることになりました。今、僕たちが立派な松本城が見られるのも、先人の方の努力によってお城が守られたからだったりします。

その後、昭和11年国宝になった松本城は、昭和25年から30年にかけて「昭和の大修理」が行なわれ、現在に至っています。 実は先の古書店さんは、この修理の時に「観光客の皆さんに松本城をご覧頂けないのでは寂しい」と考え、表を松本城天守閣のカタチに改修したそうです。

当時の市民の手によって2度の難を乗り越えた松本城ですが、これからもずっと松本のシンボルであって欲しいものです( ・∀・)ノ。

参考URL
・ウィキペディアさん松本城
松本城の危機を救った人々
青翰堂書店のご案内

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